トレーニングとか、きつい経験を経て、それまで肉体的にできなかったことが、できるようになったりしますよね。スポーツとか武道とかだと、強くなったおかげで何かが得られるということよりも、自分が以前よりすごく強くなったとか、それ自体でかなり満たされたりします。技術が向上するのも同じですね。楽器がうまく演奏できるようになるとか。

勉強だって本来、とことん知りたいことや極めたい分野があって、深くわかってくると以前よりたくさんのことが一気に見えてきて、文字通り視野が広がって世界が広がる感じがして、何だか素晴らしい気分になります(具体的に何が素晴らしいかなんて言えなくて別にいい、とにかく気分がいい、と堂々と思えたりします)。

たくさんのお金や高い地位が目に見えて手に入らなくても、まったくお金にならなくても誰もほめてくれなくても、満足できるのってなぜなんでしょう。それって、たぶん自分が、能力的に、向上したからだと思います。

能力が向上して、じゃあ、ほんとのところ、何がいいのでしょう?

実は、肉体的な強さも、知識も技術も、お金も、地位も、それで「生きていきやすくなる」というところで共通しています。糧を得る、危険を避ける、それがよりやりやすくなるわけで、人間も動物も等しく持っている生存本能を助けてくれるということです。

ルノルマンカード11番、『鞭』は、自分を鞭打つこと、誰かや境遇から鞭打たれることで、前向きな意味では、強くなったり上手くなったりして何かが向上します。

例えば泳ぐのが上手になると、海を自在に泳ぎ回ることができる、つまりより自由になる!

これは34番、『魚』の意味のひとつですね。もしも魚になって海に出れば、自由だけでなく世界の広がりも手に入れることができます。

でもね?

ここからがわたし、ナオミの体験から感じた問いです。

じゃあ、鞭に耐えて必死に泳ぎ続けてきたのに、疲れるばかりでどんどん溺れそうになっていく魚は、何かが間違っているの?

何かちょっとした方向違いのせいで、努力が活かされないことというのはありますよね、でもそんなボタンのかけ違いやすれ違いレベルの話じゃなくて。

間違いとかじゃない。選択肢とかそんなのひとつもなくて、ただ病に冒されたり、虐げられたり、避けようのない逃れようのない鞭に追い立てられて、ゼエゼエ言いながら歩き続けるしかない、痛みに耐えながら呼吸するしかない、そしてその結果、ちっとも強くなるどころかどんどん弱っていく怖さ。

「必ずよくなるから、大丈夫だから」

と繰り返す周囲の言葉がどんなに空虚に思えても、その言葉にすがるしか道がない。今より「よくなって」幸福をかみしめる時が必ず未来にある、幸福なゴールがあるって信じるしか、ない。

現実はもしかしたら「違うゴール」があるかもしれないなんて恐ろしいこと、わたしは、絶対に考えたくなかった。

でも、夢にはその「違うゴール」がたびたび出てきて、目覚めた時の絶望感ったら本当に、本当に、「こんな思いをするためにわたし生まれてきたの?」って、大声で泣きたくなります。

だから、起きてる時にまで「死ぬ」ことなんて絶対に考えてやるものか!

と思っていたら、わたしの具合の悪い時に夫が呪文のように繰り返す、「大丈夫、必ずよくなる」の意味が少しわかってきました。

いつ死ぬかわからないのは全員みんな平等に同じ。死ぬ時は何をしていても死ぬ。それなら、生きている間は生きることだけ考えて生きるだけじゃん、ってわたしは思ったのです。

そうするとですよ、『鞭』って、何かの向上のためと思って人は「打つ」のに違いないのですけど、結果がどうなるかは実は関係ないんですよね!

歴史を振り返っても、道半ば、志半ばに倒れた人たちがごまんといる、でもその人たちの人生を「無駄な努力だったね」と笑う資格のある人が、この世にいるでしょうか。

わたしが、毎日リハビリをして、昨日は一昨日よりも歩けたのに、今日は疲れて昨日の半分も歩けなかった、それはとても悔しかったり怖かったりするのだけど、これを「無駄」という資格は誰にもない。

誰にもないということは、わたしにもない。

わたしは、そうするしかなくてそうしているわたしの努力を、無駄だと思う必要はないし、無駄になるのではと恐れる必要もないんです。今のわたしにとって、健康で生きたいと思ったら動ける範囲でリハビリをするしかない、悪夢が怖くても眠るしかない、苦しくても呼吸するしかない、それ自体が生きるということだから。

成果を信じることは、確かに励みになります。気力を奮う助けになります。でも、成果が約束されていることなんて現実にはどこにもないんです

もっともっと大切なことは、成果があるかないかなんて未来の夢物語に振り回されないで、今そうするしかなくてそうしている「わたし」の行動を、「これこそが生きているってこと」だと、毎秒毎秒実感することだったのです。

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