「ただの目的」と、「源泉にもなる目的」

例えば、

  1. 自然が豊かだから森がある
  2. 森があるから自然が豊か
    どちらだと思いますか?

両方ですよね、本当は。

「木」の生命力は自然の法則にそって循環するから尽きることがなく、むしろ増幅されていきます。

  1. 健康だから元気に行動でき、
  2. 活動的だから健康になる。
  3. 愛する人がいるから力が湧いてくる、
  4. そして愛する人のためを思って何かができる。

恋人や家族との関係は、やりがいを感じて活動するための目的である(守るもののために生きる、活動する)と同時に、充実感や癒しを与えてくれて原動力にもなる。
そして家族も元気になり関係も深まる。

「木」と「きつね」は循環しあう。

「木」とともに良い循環を生むのは「きつね」だけに限らないのですが、現代社会で生きる多くの人に一番わかりやすいのが「仕事」「家族のための日々の活動」である「きつね」だと思います。

そして問題の起きやすい箇所、問題解決のツボが交差しているところも、たいてい「身近な人間関係と自己実現の狭間」にあったりします。

木と一緒に出ているきつねは、ただお金のためとか世間体のために働くのではありません。

  1. 自身の健全な身体と心、そして愛する存在、大事な家族から力をもらい
  2. 正しく成長すべき自分の人生と、守るべき存在のために行動する

良い循環は成長します。

循環の停止や逆の依存や搾取は衰退します。

何かがうまくいかない時、循環のどこかが傷ついているかもしれません。

眼(まなこ)が曇っている時は、基本に返る

問題を考えれば考えるほど悪循環におちいる時、考える順序がもしかしたら逆方向になっていたり、間違った目標の上に立ち尽くしてしまっているのかもしれません。

愛すべき存在なのに、その存在がストレスにしか感じられない時、「余計なしがらみ」に「木」が傷ついているのかもしれません。

人間も自然の一部であるなら、本来、どうあるべきか。

「人間は動物と違うのだから、そう簡単にはいかないのよ」というセリフが浮かぶ時ほど、問題の優先順位が混乱してしまっていることがあります。

動物や自然の仕組みに戻って考えることで、「枝葉」から「幹」に戻り、悪循環から解放されることもあります。

「きつね」は人里に現れて「(人間から見た場合の)悪さ」をすることもあります。でも、豊かな自然の恵みで十分に暮らしていけるなら、わざわざ(盗みを見つかって捕まるような)危険を冒さないで生きることもできます。

鶏小屋に忍び込むことが「手っ取り早い」と感じる狐もいるかもしれません。そのせいでどれだけのリスクを負っているか、気づいていないこともあるかも。

そんな時、何百年も生きた大木は、狐に語りかけるかもしれません。
「あなたはどこから生じたの?」
「正しい栄養をくれる大地に、あなたは繋がっている?」

Top image by Jeroným Pelikovský from Pixabay


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